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幼少期~中学時代を過ごした場所

29日、なにわ旧車部品交換会の帰りに大阪府守口市の実家に立ち寄り。

ついでに、久しぶりにちょっと足を伸ばして私が幼稚園から中学まで過ごしたあたりをバイクでうろうろ。

実家から距離にしてわずか1kmも離れていないのだが、ここは高校進学以降はほとんど足を踏み入れないエリア。近所ではあるが微妙に生活圏が違うのだ。

まずは記憶に無いくらい小さかった頃から幼稚園まで過ごしたところ。

この美香という喫茶店は母が経営していたお店。既に他の人に渡って50年近いが、店の名前は昔のままだ。この居酒屋の建物のところに家があったかなー。この美香で使っていた昭和時代の食器類が実は今でも実家にいくつか保管されている。この店名の漢字がひと文字づつ姉と妹の名前に使われている。店が開いていたら入ろうかと思ったけど、あいにく休業日?

お店の前から、私が通っていた中学校を望む。昔は子供達が大勢いたエリアだけど、今はなんかひっそり。

私が3歳の頃の写真とか、この写真と同じアングルで撮影されているのを思い出しながら。

その中学校は平成27年に閉校してしまっている。なんか寂しいなあと思う。これだけの数の子供が居なくなったということ。一学年9クラスまであったのにな。

そしてすぐ近くには小学校が。

さくら小学校とあるが、これは私の出身の橋波小学校が他の小学校と合併して改称したもの。その小学校も実は既に閉校している。小中ともになくなってしまって、他の学校に吸収されている。戦後の成長期に開校し、その後児童数が増加しつづけ、私が通っていたときは全校で1500名もいたマンモス小学校。開校時の写真では周りはまだ田圃が多かったが、私が通っていた昭和50年代前半には既に住宅ばかりとなっていた。私は三人きょうだいだったので、運動会には両親が来てとても賑やかに楽しかった思い出が。ほんと凄い人数で最後のリレーなんか盛り上がりまくってたなー、でも今はひっそり。この正門の前にはときどきテキ屋が現れて、小学生が群がっていたなー笑。なんかいろんなもの売ってたな。何売ってたのか覚えていないけど笑。そんなんが商売になっていたのも子供の数が多かったからだろう。

小学校のすぐ道向かいには市営プールが。ここは1時間20円くらいで入れたなー。この受付のところにアルバイトの若い男の人がいて、ませた女子がよくたむろしていた。その受付はもはや廃墟のような様子。掲示板には、荷物は10円で預かります、とある笑。そんな時代から何も変わっていないということだ。他に転用するにも費用がかかるのでそのまま放置されているっぽい。なんか寂しいなと思う。

 

私が小学校の頃はお休みの日の公園には沢山の子供が遊んでいたが、今は全く姿が見えないし、道を行き交うのはかなり高齢者が多い。都会だけど田舎のような場所になってしまっている。おしゃれなお店があるわけでもなく、ひっそりとした住宅街。昔の賑やかさが嘘みたい。

 

しばし感傷にふけり、そそくさと実家に。こんどこのあたりをうろつくのは、私も老人になってしまってからか?笑